スゥエーデンはバーバーショップが熱い!!~こんなに頻繁に来てくれて、その経緯は?(対談)

(栗本)

 東京バーバーズ(TB)第10回ショウは、Ringmasters(RM)をゲストに迎えて、2017年5月7日(日曜日)東京文化会館大ホールで行われ、翌日スクエア荏原でRMを聴く会アフターグロウ(AG,=打ち上げ)が開催されました。

スゥエーデンラッシュの最初となった、東京バーバーズ第10回ショウチラシ

 

翌2018年4月26日(木曜日)に目黒区民ホールでTB主催RMショウ。こちらは スゥエーデン 大使館の招請で来日。

1年足らずでの再来日となった、日本=スゥエーデン外交樹立150年記念イベントとしてのスペシャルショウチラシ

 2018年9月2日(日曜日)にTB主催でZero8ショウat渋谷さくらホール。  

 耕友会(リンク)の招請で来日。 カルテットはZero8のメンバーで構成されたLemon Squeezy(スゥエーデン)。

軽井沢国際合唱フェスティバルのサテライト公演、Zero8フェアウェルコンサートチラシ

 

この両年は遠いスゥエーデンから頻繫に来日、まさにスゥエーデンづいていました。

(松村)

 2018年のRM来日は、前年2017年の荏原でのショウAGに、スウェーデン大使をご招待したのがキッカケだったと思います。確か近くの警察から、スウェーデン大使警備のための問合せがあったか、こちらから問い合わせしたような。

(栗本)

 そうです。

 大使館に10回ショウの協賛を申し入れしてはとのアイデアは荻野さん(TBメンバー)からで、一緒に大使館へ行って頂き、話し合いは上手く行きました。

 そしてプライベートな会(AG)当日(2017年5月8日、月曜日)は平日でもあり、お見えにはならないだろうと思いながら招待状を大使館まで持参したのですが、その後秘書から、「公用車で行くので、駐車場の状況とか会場のセキュリティなどの問い合わせ」と、「大使到着の際にはお出迎えをよろしく」などの連絡があり、当日は会長のマーフィー(吉村)と玄関前でがん首揃えてお待ち申し上げました。さすがに公用車の スゥエーデン 国旗こそ、巻かれてカバーがかかっていましたが、立派なリムジンが横付けされました。

 荏原警察署には、マーフィーにお願いして何か届け出が必要か事前に問い合わせをしましたが、特に何もありませんでした。多分大使館側から連絡したら、大騒ぎになったのでは。

 スゥエーデン大使がAG会場に入られた時には、他のお客様は立ち上がって静かに拍手し和やかな雰囲気と共に、どなたが準備されたのか、皆さんの顔には スゥエーデン国旗の写し絵が貼られていました。

 その前にRMの楽屋に案内し歓談している時、Rasmus(Rasmus Krigström ラスマス クリグストロム、テナー/リード)に大使が「来年(2018年)日瑞(日本=スゥエーデン)外交樹立150周年の記念行事をやるんだけど、ゲストとして来てくれる可能性はあるかなあ。」と言い出し私の顔も見るので、こりゃチャンスだけど対応は慎重にと思い、「彼ら(RM)次第ですし、TBとして再度招請の予定は無いが、来ることが決まったら、何かとお手伝いする用意はあります。もちろん直接連絡をお取り下さるのが当然です」と答えました。

 要はTBが又招請する等可能性を問われた訳で、とてもそこまでの余裕や考えは無かったのです。

 Rasmusからはあれこれ相談のメールが届き、経験を元に応対していましたが、

数ヶ月後Rasmusから「アドバイスどおりに応対していたら、大使館からあご足付き(=交通費・食費一切大使館側の負担)で招待が決定したと」言って来ました。

そこに到る間にTBとしてはライブの会場探しを始めていました。

耕友会関連リンク:東京国際合唱機構

タグ・マスター「口伝が大切」~バーバーショップタグにまつわるエピソード

 Nightlifeのベース、ブレット(Brett Littlefield)は、苗字のLittlefieldから想像されるのと違い6フィート(≒183cm)以上の巨漢ですが、ショウの前日TB(東京バーバーズ)のゲネプロに来て、挨拶代わりにNightlifeで一曲歌った後、TBに一生懸命タグを教えてくれました。一人で4パートすべてを歌い、コーラスに口伝えで教えてくれたのです。

 「タグ」というのは、荷札という意味の英語ですが、バーバーショップでは、曲の最後のハーモニーが凝縮された部分のことで、色々なタグを覚えることは、そのままハーモニーを豊かに響かせる「引き出し」を増やすことになるので、カルテット、コーラス共に貴重な財産です。

タグが好きな人は、心底、バーバーショップハーモニーが好きで、そのハーモニーを味わう喜びを、いつも分かち合いたいと願っていて、幾つものタグの4パートを一人で全て覚えていて、機会を狙っているのです。こういう人たちを、タグ・マスターと呼びます。ブレットも、その一人でした。

 TBの客演指揮者であるロジャー(Roger Ross)も、合宿で時々タグを4パートをパート毎に歌って、口伝えで教えてくれますが、前客演指揮者のゲィリイ(Gary Steinkamp)も、タグを幾つもTBに残してくれた筋金入りのタグ・マスターの一人でした。コーラスの練習の始めのウォームアップで使っている”My Mom”も確か、ゲィリイが教えてくれた中の一曲です。

 ゲィリイのタグ好きは想像を超えていて、タグを教えて貰っている時に、TBメンバーのひとりがそれを譜面に書こうとして、手元の紙に五線を引いて聴いた音を採譜しようとしていたら「ダメ、タグは耳で憶えるもので、楽譜から憶えるものではない。」と厳しくられました。バーバーショップでは、”Ear Singing(耳で聴いて憶えて歌うこと)”が、”Sight Singing(楽譜を見て歌うこと)”よりも大切だとされているのです。「平均律のピアノから音を取るのではなく、純正律で歌っている上手い奴から聴いて憶えろ」という訳です。

 ゲィリイのタグ好きを痛感したのは、彼がテナーを務めるカルテット、Finale をゲストに招聘した第三回ショウの後、ホテルに帰ってからのこと。ショウの会場が後楽園近くの文京シビックホールだったので、当時のTBメンバーのツテで、後楽園の東京ドームホテルにカルテットご一行様と担当添乗員で、宿泊した時のことです。

 ショウの打ち上げの後に、ホテルに戻ってレストランでFinaleが歌っていたら、レストランのマネージャーに「お客さま、周りのご迷惑になりますので」と追い出され、どうするかと思ったら、その先のエレベーター・ホールで、人のいないのを見計らったゲィリイが、Finaleの他の3人に延々とタグを教えていました。

 何時まで経っても終わりそうにないので、30分ほど付き合ってこちらは自分の部屋に引き上げましたが、カルテットが文句も言わずに、次々とタグを教わっている姿には、3人ともカルテットでメダルを取ったのに、こんな夜中まで向上心を忘れないんだと、感銘を受けました。

 しかし、そのゲィリイを上回るタグ・マスターがいました。ゲィリイがTBを指揮した最後の年2009年、ゲスト・カルテットは Keepsake 。そのベースのドン・バーニック(Don Barnick)が、飲み会の席だったか、タグを次々と披露して皆に教え(勿論、4パート全部を一人で)、あのタグ・マスターのゲィリイが、それを大人しく聴いているのです。いやあ、上には上があるものだと、その時には本当にびっくりしました。

 ちなみにドンは、先に述べた Keepsake のベース、TB指揮者ロジャーが、1992年に初めての金メダリストになった時のチームメイトですが、それより前の1979年には、 Grandma’s Boys カルテットのテナーとして金メダリストになっていました。BHSバーバーショップ・ハーモニー・ソサイエティの世界広しといえども、一番上のパートと一番下のパートで金メダルを取ったのは、この人だけです。

(Kaz 松村)

アナログからデジタルへ(30周年記念に寄せて)

 練習見学とシニアコーラスフェスティバルでの演奏でバーバーショップスタイルのハーモニーに魅了されて、2001年4月に入団した ”Tellkey♪” ことYAMAMOTO Tellkeyです。

 練習スタイルや笑顔を絶やさないパフォーマンスへの努力に感動したことはもちろんですが、私の一番の驚きは別なところにありました。 

 当時40歳後半の新人は平均年齢60?歳のTBの中にあっては若造に等しく、経験豊富な先輩達の中で出来るだけ萎縮しないようにと、髭を生やし出したものでした。新しい曲の楽譜が手渡され、練習スケジュールや演奏予定表などをいただいて、出遅れている分を必死で埋めようと頑張ったものでした。

 当然、月2回の練習では追いつくことは難しく、いろいろなことを先輩諸氏に教えてもらわなければならない状況ですが、その際の通信連絡手段に驚愕しました!なんと!電話と“FAX”が主要なツールとなっていたからでした。

【FAXから電子メールへ】

 時代はすでにインターネットが普及し始めていた頃で、仕事上では電子メールや各種電子データファイルの送受信で利用していた者としては“今時FAX?!”と驚きました。そもそも自宅にFAXはあっても殆ど使用したことはなく、急ぎ動作確認とサプライ備品を用意してTBとの連絡に対応しました。しかし、ご多分に漏れずの“FAXあるある”で、“送信したが受信出来ていない”、“受信したが黒く潰れていて何の画像かわからない”、“受信確認のため電話確認”などで、結局のところ練習日に印刷物を手渡すことになる状況にありました。  

 先輩諸氏が仕事現役の頃は、電話とFAXまたはテレックスを駆使して24時間バリバリと駆け抜けてきた世界も、今や瞬時に情報を同時共有する時代になりつつあり、また、TBメンバーも10名前後から2倍以上に増えつつある状況にあっては、もはや“時代遅れの連絡手段”の感は否めませんでした。自分のためとは言え、今後のことを思うと電子メールと添付ファイルによる通信連絡手段をTBで採用してもらうことは重要と考えてTB幹部の方々に上申した結果、理解していただいて、程なくしてFAXから電子メールへと順次移行することとなりました。

 その代わり、言い出しっぺの責任としてTBメンバーへの説明役となる羽目になり、メールアドレスの取得方法、メール設定、添付ファイルの送受信、保存方法などの質問で、電話応対が増えたのは想定外のことでした。

【電子メールからグループウエアへ】

 2001年はPPBCメルボルン大会(ちなみにこの時の参加メンバーは図らずも9・11の煽りを受けましたが、このことは他のメンバーから紹介されることでしょう?)や、演奏会が目白押しで新曲や振り付けなど覚えることが一挙に押し寄せて、電子メールによるやりとりが急増しました。

 添付ファイルのデータ容量も大きくなり、当時の一般的な通信回線では時間がかかり電話料金もかさむなど、必ずしも良いことばかりではありませんでした。

 また、この頃からは練習音源やちょっとした振り付けの映像などの配信にも利用されつつあり、添付ファイルの容量制限などから、電子メールだけによる情報共有に限界を感じていました。

 2002年には音源データや合宿記録映像などの情報共有も盛んになり、CD-RやVHSテープ(まだ活用されていました)、DVD-Rなどのメディアが利用され出しましたが、いかんせん撮影・録音は簡単でもそれから編集して希望者にコピーを配布するまでにはそれなりの期間を要し、某メンバーは大忙しでした。この頃にはまた、iPodやICレコーダーも普及し始めてきて、各メンバーがデジタル音源を活用するようになって来ました。そういう時代背景もありインターネットによるデータ配信・共有の必要性が重要視されるようになりました。

 そこで、2003年にその頃認知されつつあった“グループウエア”というシステムにトライしてみることにして、とりあえず無料で利用出来る“Yahoo! eグループ”の中にTB専用のグループを設立しました。今で言うところの“クラウド”と“SNS”の走りのようなものです。(現在はYahoo! eグループは廃止されています)このグループ内には、TB全体用の他に各パート専用のグループを設立して、それぞれに、各種ドキュメント、画像、映像、音源(midi、mp3)、関係サイトへのURLなど必要なデータファイルを保管しておき、各メンバーが任意で利用することが出来るようになりました。ただ、このような便利なシステムでも先輩諸氏にあっては、必ずしも心地よいものではないらしくて、ダウンロードやアップロード、いやいや、それ以前にこのグループへの登録の仕方を一から説明する必要があり、私にとっては、新曲や振り付けを覚えることより、電子メールでの問い合わせや電話での説明に時間が費やされていくことの方が想像以上に骨の折れる時間でした。

【グループウエアとDVD】

 ポールキャットソングもカセットテープからCDへ、そしてmp3へと変化するなかで、メンバーが自己練習するための録音媒体もテープからICレコーダー、iPod、スマートフォンへと移行しつつありました。グループウエアともにPCにも慣れてきたメンバー間では、練習用デジタル音源の活用も盛んになり、インターネット利用度も上がってきましたが、まだ、その頃の通信速度環境は貧弱なもので、映像ファイルのような大きなファイルサイズのデータを送受信することには無理がありました。

 新曲が増えるにつれて、コレオグラフィも質・量共に上がっていき、「3歩歩けば忘れてしまう」ような我々にとっては、コーチから指導された動きを映像に残して繰り返し見ながら覚えることはとても重要なものでした。ビデオカメラにより記録した映像は時には2~3時間にもおよび、とてもそのままではメンバーに配布することは出来ないので、DVDに収まるように編集する必要がありますが、これがまた大変なもので、最低でも録画時間の3倍以上の編集時間を要するようなものです。

 この大変面倒な作業をほとんど一手に引き受けてくれていた某メンバーには、ただただ、「ありがとう!」の感謝の気持ちでいっぱいです。今でこそインターネットで簡単に瞬時に映像を配信できる環境からは想像も出来ないでしょうが、映像を記録してからメンバーにDVDで配布出来るまでは早くても2週間以上を要しました。その間の練習の場では、あの動きはこうだ!ああだった!と各自の記憶をもとにコレオを思い出しながら先に進んだにもかかわらず、DVDの映像を見てとんでもない勘違いをしていたなんていうことはよくありました。ね?!あの時代に、グループウエアでも練習記録映像を活用できるような通信環境が早く訪れないかなぁと切望していたものでした。

【連絡用ツールからソーシャルメディアへ】

 転勤を機に、グループウエアの管理人を退き、他のメンバーに管理をお任せしていたYahoo! eグループが廃止となり、その後あらたなグループウエアに移行して、インターネット通信環境も飛躍的に快適となり映像ファイルなどの大きなファイルも簡単に送受信可能となって、メンバーにとってもとても便利なツールとなってきていることでしょう。それでも映像編集に時間がかかることには変わりは無く、担当メンバーのご苦労は昔とほとんど変わっていないものと想像します。

 このようにして、メンバー間の連絡用ツールとして立ち上がったグループウエアですが、現在においてもその活用状況は設立当時からあまり変わっていないように思われます。最近のインターネットにおける情報活用度合いは劇的に変化しており、情報発信は「先ずインターネットから始まる」ことが当たり前となっていいます。

 Youtube,Facebook,Twitter,Instagram,Whowatch,等々、それらを通して、情報を初めて知ったという状況が当たり前となっている現在、TBも発信力を強化する必要があると思います。メンバー間の情報共有ツールであることには変わりないものの、今後は、メンバー以外の音楽ファン達との交流、情報共有の場としての活用はとても重要なことではないかと思います。私がかつて提案した時は時代が熟していなく、メンバーの理解を得ることが叶いませんでしたが、今なら、何の問題も無くスムーズに動き出せるのではないでしょうか?いや、今こそ走り出す時だと思います。

【Barbershop Chorus 歌ってみた!】

 かつてミュージシャンはテレビに出ないと世間に知られることがないと言われた時代から、テレビを見ない世代が多くなった今では、Youtubeで発信しないと話題に上がらないと言われるほど、インターネットでの活躍が重要視される時代へと変化しています。バーバーショップとは何ですか?という問いには、百聞は一見にしかずというように、TBがもっともっとインターネットの世界でBarbershop harmonyを拡散することを期待しています。スクラッチカルテットしかりPPBCやWHJへの参加旅日記など、日頃から「天使の声」を楽しんでいる様子を広く世間にアピールしてもらいたいと思います。そして、それを見た音楽ファン達が、自分たちもBarbershop を歌ってみたとネットにUPするようになってくれると楽しくなります。将来は学校でBarbershop Harmony の響きが聞こえてくることを願っています。

 デジタルツールを活用したアナログな癒やし空間をハーモニーで♫

Tellkey♪

Storm Frontで大爆笑。次のTBショウゲストは彼らだ!!

 私が Storm Front(SF) の魅力あふれるパフォーマンスに接したのは、TBが2011年PPC(バーバーショップ環太平洋大会)でブリスベン(オーストラリア)を訪れた時のディナーショウでした。

 10人掛けの円卓がざっと120、満席の客約1,200人がひしめきあう場所は、アリーナともいうべき巨大な空間のバンケットホール。私にとっては日本で見たことのない、前代未聞のスケールのイベントだったのです。


 まるでラグビーでもできるんじゃないかというとんでもない広さに、「これじゃあ料理がいつ来るかわかったもんじゃない」とガッカリしていたら、開始から10分も経てば、見える範囲全てのテーブルで食べ始めていたのです。いや見事というほかありませんでした。

 メインの料理は鳥肉か牛肉かの選択しか無い略式メニューとは言え、食事が始まる頃には写真の状況どころではなく、ウェイター達は身をハスにすり抜けないと歩けない程混み合っていて、客はフォークを持つ手が隣の人とぶつかり食べ物が鼻やデコに行く様な始末でした。

 それでもインカムを付けたウェイター達は、それは良くトレーニングされた流れるような動きでワインの追加オーダーも取るし、私には「養鶏場に飼料を撒く(配る)」ように見えてしまったのですが(笑)、実際舌を巻きました。

 キッチンがどれだけてんてこ舞いになっているのか心配が治まらず、これは事件だと言いたいほど衝撃ものでした。先述のとおり、私にとってはすべてが前代未聞だったためです。


 そこに SF が登場、小一時間のショウは終始抱腹絶倒。満場の聴衆のあちこちでドッカンドッカン爆笑が起こり、終わってもしばらくは、笑いが止まらず困ってしまうほどでした。

 ディナータイムではオーダーの取り違えなど多少のアクシデントがあったものの、みんな  SF が巻き起こす笑いの渦にに引き込まれて、思い出の一夜は大した揉め事にならず済みました。


 その時、私は「次のTBショウはこれだ。ゲストは SF に頼むしかない!!」と心に決めたのです。

(GEO 栗本)

Storm Frontの演奏例:ディズニー作品『モアナと伝説の海』から、「俺のおかげさ」

ミュージカル・アイランド・ボーイズ、リングマスターズとの想い出

 過去に東京バーバーズ(TB)のショウに出てくれたゲストカルテットは、いずれもBHSバーバーショップハーモニーソサイエティのカルテットチャンピオンか、それに準ずる実績を持った素晴らしい人たちばかり。中でもとりわけ強い印象を受けたのはMusical Island Boysミュージカル・アイランド・ボーイズ(MIB,ニュージーランド)、2013年第8回ショウのゲストです。

 それよりさかのぼること数年前、私がMIBを知ったのは、クライストチャーチ(ニュージーランド)での音楽イベントに彼らが出演したのを数回聴いたことでした。2004年から約15年にわたり、毎年5ヶ月ほど滞在(ロングステイ)していた私が最初に会った時、彼らはまだ学生だったかも知れません。その上手さにただただビックリ!

 その後、当時私が毎週歌っていた地元のバーバーショップコーラス「Canterbury Plainsmen」の2012年クリスマス・コンサートに、なんとMIB と、Ringmastersリングマスターズ(RM,スゥエーデン)がゲストとして来てくれたのです。MIB はバーバーショップハーモニーソサイエティ国際大会で2位を連続して獲得、RMの方はこの年カルテットチャンピオンになっており、まさに世界ナンバーワン・ツーの組み合わせに聴衆は大絶賛、盛り上がりは最高潮でした!!

 私も主催者側の一員として、空港に両カルテットを迎えに行き、ともに仲良くなりました。この時すでに、翌年のゲストカルテットにMIBを招くことが決まっていたので、彼らとも日本やTBについて、あらかじめさまざまな予備知識を伝えることができました。

 そしていよいよ2013年の日本へ、第8回ショウの回想です。

 ゲストのMIBは他の3人が先着、ベースのMattだけは、あのRingmastersを応援しにヨーロッパへ行き、ぎりぎりのスケジュールで来日したため、私は遅れて来たMattを出迎えに行きました。空港からのバスの中でMattは、「MCは自分たちが日本語でやる、原稿はニュージーランド人の【先生】に翻訳してもらった。」と言うので見てみると、これが何ともハチャメチャな日本語。走るバスの中慌てて直し始め、ホテルに着いてからも手直しと発音指導を繰り返しました。Mattは実に練習熱心。ケータイに録音してその後も練習を続けたのです。

 その甲斐あって、本番では見事なトーク。若々しく粋の良い彼らのパフォーマンスと、素直で素敵な人柄に、聴衆はすっかり魅了されました。とくに、民族独特(Mattはニュージーランド先住民のマオリ系、あとの3人はサモア系)の柔らかく甘い声、絶妙のハーモニーは素晴らしいの一語でした。

 彼らはアテンド役の私のことを、本番前から「チーフ、チーフ」と頼りにしてくれ、練習後のアフターグロウ(打ち上げ)でも実に愉快な時間を過ごしました。リードのLusa(愛称、=Marcellus)に、「ちょっと代わって」と頼み込み、残りの3人と一緒に「Once Upon A Time」を歌ってもらったことは、私の人生の宝物です。この上なく歌いやすかった!幸せでした。

第8回ショウ打ち上げにて、「Once Upon A Time」を歌う。投稿者北Gは、左から2番目。
MIBが北Gのリードを立ててハモろうと、気を使ってくれている様子がうかがえる。
みんなちゃんと、チラチラとリードを見てますね。カルテットはこうあるべきだと思います。
2013年帰国見送りの際、駅で名残をを惜しむ。

 翌2014年7月、MIBはついに、BHSバーバーショップハーモニーソサイエティのカルテットチャンピオンになりました。私の人生に宝物をくれた、すばらしい彼らが世界チャンピオン。本当に良かった!! すぐ次の8月、TBは第7回環太平洋バーバーショップ大会(ウェリントン、ニュージーランド)に参加、私は現地でホスト役のMIBメンバーと再会を果たし、熱いハグを交わしたのでした。

 最後にもう少し、2012年クライストチャーチの空港に戻りましょう。クリスマス・コンサートのゲストにRingmasters(RM)を迎えに行った時のことです。

 私を日本人と見るが早いか、バリトンのEmanuelは「いってらっしゃ~い」「いただきま~す」といった日本語で話しかけてきました。聞けばEmanuel、宮崎アニメで覚えたそうで、改めて日本アニメの影響力には恐れ入りました。

 テナーのRasmus は、両親と横須賀に住んでいたことがあると言って「さくらさくら」を歌い出し、私もハーモニーを付けて唱和し、一気に親しみが増したものです。

その後RMもTBの2017年5月第10回ショウのゲストとして、さらに2018年5月TBとの特別ジョイントショウで、同じ2018年9月、スゥエーデンのバーバーショップ・コーラスチームZero8のメンバーとして頻繫に来日、毎回すばらしいパフォーマンスを披露してくれています。

(Kit 北G 北島)

Nightlifeカルテットの想い出~荷札は大切?

 Nightlifeは1996年のSPEBSQSA国際大会の優勝カルテットです。四人とも協会トップ・コーラスの一つMasters Of Harmonyで、パート・リーダーをつとめ、この年にはコーラスも優勝してダブル・タイトル獲得で話題になりました。来日時点では優勝後10周年、結成以来不動のメンバーで活動を続けていた結束力の強いカルテットでもあります。

米国内外で多くの公演をこなしていますが、来日は2005年の東京バーバーズ(TB)・ショウが初めて。

(注)SPEBSQSAはSociety for the Preservation and Encouragement of Barber Shop Quartet Singing in America, Inc. (アメリカ バーバーショップカルテット歌唱 保存 奨励協会)の頭文字。 Barbershop Harmony Society =BHS バーバーショップハーモニーソサイエティの、発足当初の名称。

2005年第4回ショウチラシ表面

 TBとの出会いは、メルボルンで行われた2001年の環太平洋バーバーショップ大会。例によって打上げのロビーで歌っていたTBを気に入って、一曲歌い返してくれました。その時買ったCDの”One Moment In Time”にTBメンバーがゾッコンほれ込んだのが、招聘のキッカケです。

 Nightlifeの招聘を担当した松村としては、メールでの出演交渉に中々返事が来なくて、大変、気をもんだことが、先ず思い出されます。カルテット側の窓口はテナーのRobでしたが、数年前にメルボルンで出会っただけの日本のコーラスからの出演オファーに戸惑ったのかも知れません。実際に会ってみると、朴訥な好青年でした。

 リードのJohn Sasineについては、来日直前にスキーで膝をねん挫したとかで、成田へ迎えに行ったらホータイぐるぐる巻きの姿で現れたことに、まずビックリ。彼はメキシコ系アメリカ人なので、ワカモレ(メキシコ料理のアボカドのディップ)が大好物。ショウの打ち上げで、刺身の皿に山盛りのワサビを見で、初めてこの緑色の物体を見た時の思い出を語ってくれました。

 (来日中)どこかの立派なパーティに出た時のこと、刺身の横に好物のワカモレを見つけて、早速ガバッとスプーンで取って頬張ったら、ワカモレではなくワサビの山盛りだったので七転八倒、ちゃんとしたパーティで吐き出すわけにもいかず、大変な思いをしたそうです。

 Johnは、見た目は田舎のオッサンでしたが、その後、コーラスを指揮して、国際大会のトップ10(2019年9位)にも顔を出していますから、音楽的には優れた才能の持ち主だったようです。

   バリトンのJeff Bakerは、直前に結婚して、この時は新妻を連れて新婚旅行を兼ねての来日となりました。奥さんは、確かJoe Liles(バーバーショップ界では著名な編曲者)の娘さんで、中々の美人。

 当時招聘担当は、ホテルにカルテットと一緒に泊まり込みで案内をしていたので、ショウの打ち上げ終了後は、彼らの部屋でよもやま話をしていましたが、Jeffが奥さんをカルテットの集まっている部屋に呼んだところ、奥さんはよもやのパジャマ姿で登場。夜遅いので、パジャマ・パーティかと思ったとのことでした。

 この時 Nightlife のメンバーは、これから取り組む新曲の練習だと言って譜面を見ながら音合わせを始めたのですが、最初からハーモニーがきちっと出来上がっていて、「本当に譜読みを始めたばかりなの?」と思わず訊いてしまいました。

 ベースの Brett Littlefield は、苗字のLittlefieldから想像されるのと違い、6フィート(≒183cm)以上の巨漢ですが、ショウの前日、TBのゲネプロに来て、挨拶代わりにNightlifeで一曲歌った後、TBにタグを教えてくれました。一人で、4パートを歌い、一生懸命コーラスに口伝えで教えてくれたのです。

 Brettは、見掛けはゴツいのですが、根っからのバーバーショップ好き。ゲィリイがTBの客演指揮を降りるとき、後任の候補の一人に挙げてくれたのですが、メールで打診をしても、なしのつぶて。話は立ち消えになってしまいました。

 東京バーバーズの現客演指揮者であるロジャー Roger Ross も、合宿で時々タグを4パートをパート毎に歌って、口移しで教えてくれますが、前客演指揮者のゲィリイ Gary Steinkamp も、タグを幾つもTBに残してくれました。コーラスの練習の始めのウォームアップで使っている”My Mom”も確か、ゲィリイが教えてくれた中の一曲です。

 「タグ」というのは、荷札、値札という意味の英語ですが、バーバーショップでは、曲の最後のハーモニーが凝縮された部分のことで、色々なタグを覚えることは、そのままハーモニーを豊かに響かせる「引き出し」を増やすことになるので、カルテット・コーラス共に、貴重な財産です。タグについてはまた色々なエピソードがあり内容盛りだくさんなので、別にまとめます。

(Kaz 松村)

Everyone In Harmony との出会い~そして、東京文化会館

 同級生が弾くピアノに合わせ、力一杯フォークを歌った中学時代、音楽の授業で『大地讃頌』の混声合唱に込み上げるものを感じ、アリスに手拍子を打った高校時代、大学4年間はグリークラブで男声合唱にどっぷりはまり、OBになっても歌っている。クラシックも聴き、ポップスも’70-’80年代中心に大好きだが、これまで歌ってきた作品は、日本(語)のものが6ー7割ではないだろうか。

“英語で(を)歌いたい”気持ちがずっと付きまとっていた。

 そこへバーバーショップスタイルとの出会いが。それは大学(クラブ)の後輩によって2018年11月、彼らの定期演奏会のステージにもたらされた。題して、”Everyone In Harmony” 今はわかる、BHSバーバーショップハーモニーソサイエティのモットーそのまま。「おー、カッコイイね!」「楽しそう。」客席でシンプルに喜んだものだ。バーバーショップハーモニー、やってみたい。

 さらなる巡り合わせに、私は背中を押された。OB会(大学)合唱団で、バリトンのメンバーになんと、東京バーバーズの方がいらっしゃる!! のらくろ先輩である。

 こうなれば、リハーサルを見学に行かない手はない。東京バーバーズを訪ね迎え入れていただき、それまでの経験とは異なるハーモニーに惹き込まれ、Roger Ross氏の真剣かつ熱のこもったコーチングのおかげで、2019年5月東京文化会館大ホールでの第11回ショウに、オンステージメンバーとして加えていただいく運びとなった。半年足らずでまさに怒涛の展開だった。

 何とか11曲を歌いおおせ、2017年BHSチャンピオンカルテット、Rogerがテナーを務めるMainStreetのスーパーパフォーマンスをライブで聴かせてもらったことで、今なお英語を”感じたい”気持ちが続いている。コロナですべてを我慢する時期が終われば、これからもバーバーショップハーモニーをますます楽しく歌って行こうと思う。

 実はこの話にはもう一つ外せない、関わりの深い事がある。さかのぼって2017年11月、東京バーバーズ入団の1年前。その頃積極的にバーバーショップハーモニーをテーマとするイベントを開いてくれた荻窪アルカフェで、私は当のRoger Ross氏と握手していたのだ。アルカフェの店主に、また英語スキルに長けバーバーショップ経験も豊富で、イベントを企画・運営してくれた大切な仲間、Hiro,Sakiのご両人に改めて感謝したい。

 ちなみに私がRogerと2度目に握手したのは、テスト入団のうえ第11回ショウに向け参加した合宿、2018年11月のことであった。(KQ 太田)

チンプンカンプン 入団直後に、『Down the Tile !!』と言われ・・・

 私がバーバーショップコーラスに初めて出会ったのは、2000年に1990年の世界チャンピオンカルテット「Acoustix」が日本に来て岡山、大阪、所沢、東京、でワンマンショウを開いたときです。

 ショウ当日の所沢文化センター大ホールは2000席が満席!!客席で彼らの生み出すハーモニーを聴いて、それまでの合唱人生がひっくり返るような衝撃的な感動に包まれたのを記憶しています。

 私は学生時代に男声合唱を、40代半ばからは地元の所沢で男声合唱団「所沢メンネルコール」(TMC)で歌っていて、早速TMCの同年代のメンバーに声をかけカルテットを組みました。「Campanula」というなんとも似合わない名前を付け、とにかくバーバーショップコーラスの愛唱曲集「Barberpole Cat Song Book」12曲を制覇しようと練習しました。

 幸いTMCには東京バーバーズと掛け持ちの団員4人がいて、「Dandelions」というカルテットを組み活動していたので、彼らに教わりながら歌い続けていました。

 7年くらい経った2008年、「Dandelions」テナーの上野さん(故人)に紹介して頂いて東京バーバーズに入団しました。カルテットから始めたバーバーショップでしたが、大人数のコーラスもやってみたくなったのです。当時の東京バーバーズは団員数50人位だったと思います。

 入団してすぐ、合宿がありました。アメリカからのコーチGary Steinkampさんの指導が始まりましたが、とにかく私にとってバーバーショップの指導らしい指導はこれが初めて。そのうちに「Down the Tile !!」と号令が掛り、周りの団員たちは一斉に体も顔も前を向き直立不動の姿勢を保ちます。

 いったい何が起きたのか訳が分からず、とにかく前の団員の真似をしていました。「Down the Tile」のTileは床のタイルではなく天井板のことで、「天井板に合わせろ」=「正面(客席)に向きを変えろ」という号令だったのです。同じバーバーショップコーラスでもカルテットには無い動きですね。

 また日本の合唱界に同じような用語は無いですよね。ちなみに、演奏中、指揮者に集中している態勢を「Chorus Position」といいます。

 他にも独特の(日本が独特かな)用語や作法がありますが、「Down the Tile !!」これが一番印象に残っています。

                                   Norakuro

StormFront meet a June Bride

 2015年第9回ショウの後、ゲストで来日したカルテット、Storm Front ストームフロント(2010年BHS世界チャンピオン)を案内していたところ、目黒の小さな公園で結婚式の前撮りをしているカップルがいて、お祝いにカルテットから一曲プレゼントしたときの動画です。

 お嫁さんが米国留学の経験のある方で、英語の歌詞を理解し、感激してくれました。

 ショウのステージであれば、聴く人を必ず爆笑させると言っていい彼らですが、この時ばかりは、陽だまりの中真摯にカップルを祝福する、おだやかな歌声がかえって印象的でした。

ゲイリィ・スタインカンプ(Gary Steinkamp)さんのこと ③

2001年9月11日、東京バーバーズは、環太平洋バーバーショップ大会の開催地、メルボルン(オーストラリア)に向かって、太平洋の上を飛んでいました。あのニューヨーク同時多発テロ事件、当日のことです。

大会事務局から、メルボルンについたら地元のテレビ局が来るかも知れないから上手く対応してね、との連絡を貰っていて、空港に着くとTVクルーが居たのですが、東京バーバーズには知らん顔で、アメリカ人にインタビューしています。

メルボルン空港にて

現地のホテルに入ったのち、テレビのニュースで事の重大さを知り、言葉を失いました。飛行機の中では報道管制が敷かれ、ニュースが遮断されていたため、私たちは事態を知らないまま、到着したその足でのんびり市内観光をしたのです。私たちのコーチであるゲイリィや大会のゲストカルテットは、早めの便でアメリカを出発したためメルボルン入りできましたが、その他アメリカからの大会ゲストは、飛行機が全面飛行禁止になって参加できませんでした。

前年のWHJでは、日本人だけでバーバーショップが歌えることを示すべきだと言って、指揮を固辞したゲイリィでしたが、その後の度重なる懇請に折れて、この環太平洋大会から指揮を引き受けてくれることになりました。

環太平洋大会の前の4月のゲイリィの合宿では、それまでのバーバーショップの基本的なことやコンテスト曲の指導と振付指導の他、コンテストへの心構えや審査員との駆け引き等、新たな話題についてもコーチをしてくれました。

この環太平洋大会では、東京バーバーズはI Can’t Give You Anything But LoveとMoonlight Brings Memoriesを歌い、21コーラス中の8位。オーストラリアのバーバーショッパーからは「たった15人でここまで出来るのは凄い。自分たちも人数が少ないことに甘んじていないで、もっとレベルアップしなければ」と面白い褒められ方をしました。

バーバーショップのコンテストでは、一般的に一曲目はバラードを歌い、息の切れるアップチューン(速いテンポの曲)は2曲目というのが常道ですが、一曲目にI Can’t Give Youを持ってきたのはゲイリィのアイデア。「審査員を含めバーバーショッパーの間で良く知られているMoonlight Brings Memoriesより、比較的新しい曲であまり知られていないイントロのついているI Can’t Give You…の方が、審査員が曲名が分かるまでジックリ聴いてくれるので、高得点を取りやすい。」というのが、ゲイリィの考えた審査員との駆け引き。カルテットやコーラスでコンテストの常連であり、ご自身もBHSの公認審査員の資格を持っている人の考えていることは、流石に違うと思いました。 /by Kaz