タグ・マスター「口伝が大切」~バーバーショップタグにまつわるエピソード

 Nightlifeのベース、ブレット(Brett Littlefield)は、苗字のLittlefieldから想像されるのと違い6フィート(≒183cm)以上の巨漢ですが、ショウの前日TB(東京バーバーズ)のゲネプロに来て、挨拶代わりにNightlifeで一曲歌った後、TBに一生懸命タグを教えてくれました。一人で4パートすべてを歌い、コーラスに口伝えで教えてくれたのです。

 「タグ」というのは、荷札という意味の英語ですが、バーバーショップでは、曲の最後のハーモニーが凝縮された部分のことで、色々なタグを覚えることは、そのままハーモニーを豊かに響かせる「引き出し」を増やすことになるので、カルテット、コーラス共に貴重な財産です。

タグが好きな人は、心底、バーバーショップハーモニーが好きで、そのハーモニーを味わう喜びを、いつも分かち合いたいと願っていて、幾つものタグの4パートを一人で全て覚えていて、機会を狙っているのです。こういう人たちを、タグ・マスターと呼びます。ブレットも、その一人でした。

 TBの客演指揮者であるロジャー(Roger Ross)も、合宿で時々タグを4パートをパート毎に歌って、口伝えで教えてくれますが、前客演指揮者のゲィリイ(Gary Steinkamp)も、タグを幾つもTBに残してくれた筋金入りのタグ・マスターの一人でした。コーラスの練習の始めのウォームアップで使っている”My Mom”も確か、ゲィリイが教えてくれた中の一曲です。

 ゲィリイのタグ好きは想像を超えていて、タグを教えて貰っている時に、TBメンバーのひとりがそれを譜面に書こうとして、手元の紙に五線を引いて聴いた音を採譜しようとしていたら「ダメ、タグは耳で憶えるもので、楽譜から憶えるものではない。」と厳しくられました。バーバーショップでは、”Ear Singing(耳で聴いて憶えて歌うこと)”が、”Sight Singing(楽譜を見て歌うこと)”よりも大切だとされているのです。「平均律のピアノから音を取るのではなく、純正律で歌っている上手い奴から聴いて憶えろ」という訳です。

 ゲィリイのタグ好きを痛感したのは、彼がテナーを務めるカルテット、Finale をゲストに招聘した第三回ショウの後、ホテルに帰ってからのこと。ショウの会場が後楽園近くの文京シビックホールだったので、当時のTBメンバーのツテで、後楽園の東京ドームホテルにカルテットご一行様と担当添乗員で、宿泊した時のことです。

 ショウの打ち上げの後に、ホテルに戻ってレストランでFinaleが歌っていたら、レストランのマネージャーに「お客さま、周りのご迷惑になりますので」と追い出され、どうするかと思ったら、その先のエレベーター・ホールで、人のいないのを見計らったゲィリイが、Finaleの他の3人に延々とタグを教えていました。

 何時まで経っても終わりそうにないので、30分ほど付き合ってこちらは自分の部屋に引き上げましたが、カルテットが文句も言わずに、次々とタグを教わっている姿には、3人ともカルテットでメダルを取ったのに、こんな夜中まで向上心を忘れないんだと、感銘を受けました。

 しかし、そのゲィリイを上回るタグ・マスターがいました。ゲィリイがTBを指揮した最後の年2009年、ゲスト・カルテットは Keepsake 。そのベースのドン・バーニック(Don Barnick)が、飲み会の席だったか、タグを次々と披露して皆に教え(勿論、4パート全部を一人で)、あのタグ・マスターのゲィリイが、それを大人しく聴いているのです。いやあ、上には上があるものだと、その時には本当にびっくりしました。

 ちなみにドンは、先に述べた Keepsake のベース、TB指揮者ロジャーが、1992年に初めての金メダリストになった時のチームメイトですが、それより前の1979年には、 Grandma’s Boys カルテットのテナーとして金メダリストになっていました。BHSバーバーショップ・ハーモニー・ソサイエティの世界広しといえども、一番上のパートと一番下のパートで金メダルを取ったのは、この人だけです。

(Kaz 松村)