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ゲイリィ・スタインカンプ(Gary Steinkamp)さんのこと ②

1999年にゲイリィのコーチを受け始めてから1年後の2000年、東京バーバーズはBHSバーバーショップハーモニーソサイエティの国際大会、ワールド・ハーモニー・ジャンボリー(WHJ)というイベントに招待されて、初の海外演奏をしました。

WHJへの招待状が東京バーバーズに最初に届いたのは、実はその1年前の1999年国際大会へのものでした。1998年ハワイの環太平洋大会のコーラス・コンテストの客席にWHJの主催者夫妻が来ており、出場した東京バーバーズを聴いて、一目惚れしてくれての招待でしたが、ハワイ大会で審査員のハンク・ハマーに「バーバーショップらしい響きがしない」と指摘されて、当時世界レベルのコーチを受けたことのない私たちには、まだ荷が重かったのです。

そこでゲイリィの特訓を受けて1年、改めて2000年カンザスシティの国際大会への招待を受け、何とか態勢を整えて15人でWHJに参加しました。この大会、指揮をお願いしたゲイリィは「日本からのバーバーショップ・コーラスの、国際大会への初舞台は、日本人だげでやるべきだ。」と言って、指揮を固辞して、ステージの袖で演奏を見守ってくれました。

また、国際大会の行事の一つDecrepits’ Breakfast(老いぼれ犬達の朝食会: BHSの元役員たち長老の集まり)のアトラクションに呼んでくれたり、お父さんのロイド (Lloyd Steinkamp) さんを紹介してくれたり、色々国際大会の楽しみ方も伝授してくれました。そんなこんなで、このカンザスシティ国際大会がまた、ゲイリィに私たちが惚れ直す機会となりました。

因みに、ロイドさんは、東京バーバーズの愛唱曲の一つOver The Rainbowの編曲者で、大会会場となったホテルのロビーでロイドさんを囲んで、この歌を歌ったのも良い思い出です。

この国際大会、WHJではOver The Rainbow、遥かな友に、Bad Buncha Boys(悪ガキどもの歌)の三曲を歌い、Decrepits’ Breakfastでは、Hello Mary Lou等を歌っています。一曲目のOver The Rainbowの歌いだしはテナーのソロなので、参加15人中の唯一人のテナーだった上野さん(故人)は、ものすごく緊張したそうです。(Kaz 松村)

Standing Room Only – From the First Hello to the Last Goodbye 右端がGary Steinkamp氏。

ゲイリィ・スタインカンプ(Gary Steinkamp)さんのこと ①

ゲイリィ・スタインカンプ(Gary Steinkamp)さんは、1999年から2009年まで、コーチ、そして指揮者として、東京バーバーズをバーバーショップ・コーラスとして育ててくれました。

ゲイリィが東京バーバーズに関わることになったのは、東京バーバーズが初めて参加した海外イベント、ハワイで行われた1998年の環太平洋バーバーショップ大会で、9コーラス中の8位になって、審査員のハンク・ハマーさんから「楽しめる歌い方だったが、バーバーショップらしい響きがしない」と指摘されたことがキッカケです。

当時の東京バーバーズ会長の結城さんが、この少し前までハンクと同じバーバーショップ・ハーモニー協会(Barbershop Harmony Society: BHS)ハワイ支部で肩を並べて歌っていた仲間だったので、誰かよいコーチを教えて欲しいとハンクに頼み込んで紹介して貰ったものです。

紹介されたゲイリィは、BHSの国際大会のカルテット・コンテストで3位になったStanding Room Only(SRO)のテナーで、地元フェニックスのコーラスの指揮者もしており、BHSのコンテストで審査を行える公認審査員でもある実力派です。

第1回目は、成田空港からほど近い佐倉公民館で、8月に一泊二日の合宿。ウォームアップのやり方から、発声の基本的な考え方やハーモニーの作り方、それに簡単な振付まで、当時のレパートリー6曲についてコーチして貰いました。

第2回は、同じ年の10月に、各パート間のバランス、Sing Tall(姿勢は背筋を伸ばし、口の中を縦に開く)、歌詞のさばき方(単語の中の母音を歌う、硬い子音はまるめて歌う、子音のリエゾニング)や、音楽的な歌い方など、バーバーショップらしい英語の歌い方を中心に、コーチを受けました。

最初は2・3回のコーチングの筈でしたが、ゲイリィのコーチ内容が素晴らしかったうえに、米国人らしからぬ控えめな人柄にも惚れ込んでしまった東京バーバーズは、その後10年に亘ってコーチをお願いし、ゲイリィも「東京バーバーズは、昔のバーバーショップ・コーラスの家族的な雰囲気が残っている稀有なコーラスだ。」といって11年間で20回近く、金曜に来て日曜に帰るというハードなスケジュールで来日して、東京バーバーズを育ててくれました。(Kaz 松村)

ロジャー(Roger Ross)コーチ兼指揮者に選任

2009年のショウのゲストカルテットは、Keepsake(BHSバーバーショップハーモニーソサイエティの1992年チャンピオンカルテット)でした。ショウの盛会に気を良くして、翌日はSteveとMacky大西も一緒に、関西公演に引率しました。関西学院大学のホールは広瀬さんとロッカーズのお手配で、満席のショウは大成功。翌日帰りの新幹線では一同リラックスして談笑。

そこでRogerから、当時TB東京バーバーズのコーチだったGary Steinkampの任期がすぐに切れる事を聞かれたので、実は後任を探しているんだと話した所、俺でどう?と来ました。おー、まさか世界チャンピオンが自ら申し出てくれるとは。ヤッタ!!

願ってもない話しながら、私自身バーバーショップに関してはインディ(インディアナポリス)でのチャンスを逃して(理由は前のブログ、インディアナポリス世界大会~ライザー購入参照)、米国本土での知見は全く無し(涙)。そこで、一緒にいたSteve(仲光甫氏。自腹で米国本土にも出向いていて、バーバーショップハーモニーにはつとに詳しい)にコッソリ相談した所、大賛成と言うのです。

「基本的には決めるつもりだけど、会長の一存と言う訳にも行かないので、団内での紹介資料として、帰国後経歴書をくれないか」と、甚だ失礼なお願いをRogerにしたものでした。

そのやり取りを隣で聞いていたTodd Wilson(BHSバーバーショップハーモニーソサイエティの1990年チャンピオンカルテット Acoustixのテナー)が、「Rogerが駄目なら大丈夫、俺が立候補するよ」とウィンク。駄目なんて事無いよねって言ってると解釈しました。Rogerから帰国後すぐに詳細な経歴書のメールが届き、早速ボードは承認。全メンバーに伝えて全会一致、Roger RossをTBのコーチに迎えることが決定し、以来彼の熱く真摯なコーチングに、TB全員心酔しております。(GEO 栗本)

関連サイト:https://tokyobarbers.org/performance/mainstreet.html

左:Steve(仲光甫)、  中央:Todd Wilson、  右:Roger Ross

インディアナポリス世界大会~ライザー購入

2006年、BHSバーバーショップハーモニーソサエティーのインディアナポリス大会1週間前に、以前から良くなかった椎間板ヘルニアがさらに悪化して入院を余儀なくされ、まさに断腸の思いで私だけ日本に居残ることに。
原因はゴルフのやり過ぎ。他のメンバーが渡米した大会を、私は一人病院のベッドに寝そべって夜中に観戦。  
へそくりして貯めた旅費はそのまま病院へ。人生で最も切ない体験でした。ああ涙々・・・

出発前に見舞いと言うより冷やかしに来たTB(東京バーバーズ)の仲間に、土産はいいから大会に行ったらライザー(バーバーショップハーモニー向けに設計された山台)を買って来てよと頼みました。ま、その場で買うわけにも行かないだろうと思っていましたが、値段も手頃な物があってメーカーの担当とも話は付けて来たとの報告。

6台1セットでチーム全体分約120万円の買物に、団の了承を取って契約。納期は約半年と言う事なので、翌年8月の雅叙園ショウに間に合わせるため航空貨物として、シアトルに近い米ポートランドのメーカーから輸入、しかも一旦倉庫で保管は手間なので、ショウ前日に成田着で手配。

TBの有志数人がレンタルトラックで成田空港まで引き取りに行き、通関後貨物の開梱も空港で済ませその場で梱包材も処分、直接雅叙園ショウのゲネプロに間に合わせて搬入する剛腕さ。まあ何ともすごいことをやってのけたもんです。

ライザーの例(写真は4台セット)

雅叙園のゲネプロ会場に到着した初荷、マニュアルと首っ引きで組み立て無事鎮座しました。一同、組み上がった姿を眺めて、「おおー、これかあー。」

その日からTBのショウは、バーバーショップコーラスには必須のライザーが定番となりました。現在使用中のライザーは2代目。(GEO 栗本)

ライザー購入後初となった、2007年8月26日
目黒雅叙園ショウチラシ

私の入団エピソード

個人的に思い出すままに。

ロンドン駐在から帰国して、プロのピアノトリオの伴奏付きで、ジャズコーラスをカルテットで
ピアノバーなどで歌って楽しんでいましたが、
バーバーショップを多人数で歌っているコーラスがあるらしいから見てきて、とリーダーに言われて 
偵察に江東文化センターでの東京バーバーズの練習を拝見に行きました。2003年のことです。

それまでバーバーショップは、カルテットでやるものと思っていたし、自分もその経験しか無かったので、ヘエーこんなコーラスがあるんだあと不思議な物を見た気持ちでした。しかも振りが付いてる!!
自分が想像していた物とはかなり違う本場物と思いました。

振りが付く部分には些かの戸惑いはあったものの、その場で入団を申し入れたものです。

私の報告を聞いたリーダーは、「何だもうミイラになっちまったのかえ!(笑)」(GEO 栗本)

初めての海外の大舞台で

何と言っても第4回環太平洋バーバーショップ大会(クライストチャーチ)のカルテット部門に出場したことです。

2004年の春、誘われるままに初代Heart Strings(カルテット名)に参加、リードとして10月のカルテットコンテストに出場し、初めて海外の大舞台で歌うことになりました。しかし、練習は思うほど簡単には行きませんでした。

大会にはTBから3チームがエントリー予定で、他の2チームはかなり練習を重ねていましたが、バーバーショップを始めたばかりの私は暗譜もままならない状況で、チーム全員とても不安でした。

また8月のTB合宿で、3チームが前任コーチのGary Steinkamp氏から指導を受けた時、心配のとおり私のチームHeart Stringsの仕上がりが最も不足で、Garyからはカルテットにおけるリードとしての心構えを教わり、藁にもすがる思いでレッスンに足しげく通うという努力もしました。3チームのうち1チ-ムは、スケジュールの合わないメンバーが出て泣く泣くエントリーを断念、私たちHeart Stringsを含む2チーム体制で、カルテットコンテスト本番に臨むこととなったのです。

カルテット大会は一般?とシニアの2部門があり、シニアは持ち歌が2曲で1回の審査で終わりですが、一般はセミファイナル2曲、ファイナル2曲の計4曲提出しなければなりません。Heart Stringsは、私の年齢の関係で参加は一般部門でしたので4曲用意はしましたが、大会が近づくにつれ、誰からともなく「最初の2曲をしっかり歌おう」という意見が出てまとまり、準決勝で歌った一曲は、「Make ‘em laugh」でした。

エントリーは、50チームに少し欠けるくらいだったと思いますが、決勝進出は14チーム?だったかと。その中でわがHeart Stringsの結果は何と11位。

スタンディング・オベイション!!!実は決勝に残ることは、東洋人初の快挙だったらしいです。勿論、一躍時の人。点数も結構良かったようで、この上なくうれしかった思い出は、ずっと忘れないでしょう。

審査の後審査員によるレクチャーがあり、英語の発音を指摘されたオーストラリアやニュージーランドのチームもあったのに、我がHSは発音についての注意はされず、音楽表現についてのアドバイスをもらったようでした。英語が綺麗だった?(笑)努力の甲斐がありましたね。

筆者t’Dash 岩田:左から2番目

さて、ファイナルはと言いますと、案の定最下位14位に落ちてしまいましたが、まさに急ごしらえのチームでこの上なく素晴らしい体験をさせてもらったことに、たいへん感謝しております。(t’Dash 岩田)